もう「他人に興味がない」とは言わせない

僕は子供の時から「他人に興味がなさ過ぎ」「自分の事しか考えてない・自己中」と散々言われてきました。

具体的には、

  • グループで会話してる時に自分から話題を振らない
  • 他人の話に対する反応が薄い
  • 大学の軽音サークルで、バンドメンバーの好きな音楽に全く興味を示さない

という態度に対して強く非難されたことを、今でも記憶に残っています。

今振り返ればその通りでした。
自分の好きなこと以外は全然興味を示しませんでした。

他人から自分の事に興味を持ってくれるのは嬉しいくせに、自分も他人に対してそういう態度を取ろうという発想にはなりませんでした。

これでは人間関係が上手くいかなくて当然だったなと、今では思います。

ただ当時は、「他人に興味がない」と言われたところで、「だから何?」という感じで、その問題点が全然分からなかったんです。

しかしADHDを診断されて、薬を飲みながら仕事や日常生活を頑張っていく内に、少しずつ分かってきました。

相手の事に興味を持つことが、人間関係を構築する上で本当に大事だという事を、少しずつ学習することが出来ました。

興味があればあるほど、質の高い思い遣りが出来る

人といい関係を続けるためには、出来るだけ相手の情報を持っている事が大事です。

分かりやすい例だと、相手の誕生日プレゼントを考えるとして、その人の好きなもの・嫌いなものをたくさん知っている方が、より相手に喜ばれるプレゼントを買うことが出来ます。

他に仕事の例だったら、金曜はいつも○○さん忙しそうだから、あらかじめ○○さんの分の仕事もやっといてあげようとか…

家族だったら、妻が体調悪そうだから家事をやっといてあげようとか…

このように、相手に興味があればあるほど、その人に喜んでもらえる行動を取りやすくなります。
「より高度に人を思いやる事」が出来るんです。

ちょっと考えれば分かる事なのですが、今までそれを実践せずにいました。

正直僕の中で、22歳にADHDが判明するまでの人生で1番損した事は、この他人に興味を持つ事の大切さを学習出来なかった事とさえ思います。

学校でいじめられたり、
家族とも衝突したり、
恋愛もうまくいかなかったり、
仕事もうまくいかなかったり、

これらの原因も、他者・他人に興味を持てなかった事が根本の原因だったと、今となっては分かります。

他人に興味が無いのではなく、他人に興味を持つ余裕が無かった

ただ、当時の自分ではどうしようもなかったんです。
10代の頃はまだADHDに気づいておらず、今以上に自分の事で精一杯でした。

毎日辛い事ばかりで、負の感情に支配されて、他人に興味をもつ余裕なんてとてもありませんでした。

22歳でADHDを診断され、治療しながら少しずつ仕事や人間関係で自信をつけて、アラサーにしてようやく他人に興味を持つことの大切さに気づくことが出来ました。

これからは、今までの分も、他人に気遣いも幸せも振りまける人間になれるように頑張りたいです。

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