音楽教室でのバイト時代・ついに診断

3ヶ月で新卒で入った会社を辞めてすぐ、音楽教室でのアルバイトを始めました。

そしてこの仕事が、ついにADHDの診断のきっかけになる仕事になりました。

そこで働く事になったきっかけは、しばらくはアルバイトをしながらこれからのなりふりを考えようと思っていて、もともと音楽が好きなのと、社員登用のチャンスもあるとの事だったので、そこに決めました。

好きなものに囲まれながらの仕事に最初はワクワクしていましたが、実際の仕事内容は、ADHDにとって向いてない仕事のオンパレードでした。

まずは電話応対。
何が苦手というか、全てが無理でした笑。これほど同時にいろんな事考えなきゃいけない事ってあるんですかねって感じでした。

問い合わせに対して、適切な資料も手元に持ってきて明確に答えつつ、正しい敬語も使わなければいけない。
マルチタスク・コミュニケーション能力の両方を求められます。
はっきり言って手も足も出ませんでした。
電話してきた客からイラつかれてしょっちゅう電話を切られました。

そして体験レッスンに来た人の接客もしなきゃいけないんですが、これも全然できませんでしたね。
この時の接客で、入会に導かなければいけないのですが、普段の雑談でさえ苦手な僕が、営業トークなんて出来るわけがありませんでした。

これは電話でも接客でもそうでしたが、想定外の質問をされると途端に頭が真っ白になるんです。
そしてそれ以降は言葉が吃ってしまったり、イライラしてしまったり、とても接客できる精神状態を保つ事が出来ませんでした。

また、各レッスンの先生が十数人居てたのですが、いつまでも先生の顔と名前を一致させる事が出来ない、いわゆる「相貌失認」も目立ちました。
各レッスンは週1なので、先生も週1回しか教室に来ないので、それだけ顔と名前を覚えるのが困難でした。
それで仕事にも支障をきたしました。例えば、「○○先生来た?」と聞かれても、顔と名前が一致せず間違った返答をしてしまうなどです。

そもそも、前の会社の時に発症した鬱も完全に治っていなかったこともあり、小さな物忘れ・ミスも多発していました。

先輩や教室の先生からは完全に呆れられてました。

2ヶ月の試用期間でクビになる予定だったらしいですが、唯一、僕を採用してくれた教室長だけは僕を庇ってくださり、試用期間でのクビは間逃れました。

しかし、その会社のナンバー2っぽい人から直々に「あと2ヶ月で改善が見られなかったら辞めてもらう」と言われ、僕はそれで完全に意気消沈し、自ら退職を申し出ました。
教室長は説得してくれましたが、話し合いの末、1ヶ月後の退職が決定しました。

好きな音楽の仕事でやる気もあったのに、何もかも上手くいかない。

これは何かがおかしい。自分の意識・努力ではもうどうしようもない事が関係してる気がする。
僕はそう思いました。

家でネットで、同じように仕事が出来ない人の事を調べていました。
そして、その時にADHDの事を扱うページにヒットしました。

間違いない。これだ。
そう確信しました。

早速診断してくれる病院を探しました。そしたら家の最寄駅から5.6駅のところに、発達障害専門の病院があることがわかり、すぐ予約を入れ、母親と共に初診を受けました。

結果、
ADHD(不注意優勢型)
と診断されました。

その時の心境は、
「今までの人生がボロボロだったのは、ちゃんと理由があったんだ」という、安堵の気持ちでした。

音楽教室は、予定通りの日程で退職しました。
診断をきっかけに、自分に向いている仕事を再考し、Webデザイナーのスクールに通う事に決めたからです。

「音楽という好きな事に関する仕事なのに、どう頑張っても仕事がこなせない」という環境に置かれた事が、ADHD発見のきっかけになりました。

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