大学生時代

大学は、第一志望ではなかったものの、全国的に名の知れた中堅私大に入学する事が出来ました。

勉強はほとんどしていませんでした。毎日サークルでのバンド活動とバイトに明け暮れていました。
本当に無駄な4年間を過ごしてしまったなと反省しています。

世の中には奨学金で通っている(通っていた)人も居る中、この事に関しては学費を出してもらっていた親に申し訳ないと思うし、自分自身情けないと思っています。

1回生の時はそこそこ単位も順調にとっていたのですが、2回生から徐々にだらけ始め、単位を落とす事が多くなりました。

日中の眠気も相変わらずひどく、居眠りは当たり前。どうしてもやる気が出ず授業をサボることも多々ありました。
注意してくれる人がいない分、自分のだらしなさが目立ちました。

最終的には、4回生の後期で16単位残っており、しかもその16単位分しか履修していないという暴挙っぷりでした。
まぁギリギリで卒業出来ましたが…

大学の学習は、学生の裁量に任される事が多い分、ADHDの計画性の無さが露呈してしまいましたね。

趣味のギターでは、1回〜3回まで、大学の軽音楽サークルに所属していたのですが、途中サークルの人たちとの人間関係が上手くいかなくなった事と、就活が始まる事もあり、サークルからフェードアウトしました。
就活が終わった4回の途中からは、mixiのギター関連のオフ会に行くようになりました。

バイトは4年間、通学途中の同じコンビニでバイトしてました。
初めての仕事で、当然仕事の要領も悪く、うっかりミスも多くてしょっちゅう怒られていましたが、いろいろ多めに見てもらって4年間続ける事が出来ました。
あの時のお店の人には、こんな自分を働かせてくれて、本当に感謝しています。

そしてADHDの人生にとって大きな壁となる、就活がありました。

もう自分でも笑っちゃうくらい、ADHD感満載の就活になってしまいました。

  • 面接で質問に対しての言葉がどうしても出てこない
  • 履歴書、エントリーシートを最後まで誤字無く書けない。
  • そもそもやる気が起きない

など、散々でした。

結果的には、コンビニでバイトをしていた流れで、その経験を生かしてという建前で各コンビニ会社を受けてて、某大手コンビニ会社に内定をもらいました。
内定後、リーマンショックがあったのと、それ以上就活する気力もなかったので、そこに入社を決めました。
まぁそれがさらなる地獄の始まりになるのですが…

今となっては、自分に向いている仕事もロクに考えずに、行き当たりばったりでしか行動してなくて、ほんとバカだと思います。

でも当時は、まだADHDの診断前という事もあり、どうしようもなかったんです。

この頃からずっと自分の人生を悲観し、ずっと抑うつ状態にいたのです。
過去のいじめられていた事、母親の過干渉、その他学校やバイト・サークルで上手くいかない事が、重く自分にのしかかり、生きる気力を奪っていきました。

覇気もなく、ひどく淀んだ心で生きていました。

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