中学生時代
中学校の3年間は、今までの人生で最もつらく、暗黒の時期でした。
とにかくいじめられました。
具体的に書くのはやめます。この記事を書くにあたっていろいろ思い出してきたのですが、当時のつらい感覚が蘇ってきたり、夢に当時のいじめっ子が出てきたりして、精神状態が悪くなって、仕事にも支障が出かねない状態になったからです。
自殺・不登校にならなかったのが不思議なくらいひどい毎日でした。
ADHDの症状がいろんな負のスパイラルを作っていきました。
まず、この頃から周りの人とのコミュニケーションの質にどんどん差が開いていきました。
自分から喋ることが余りなかったので、暗いと思われがちでした。
かといって1人で居る勇気はなく、輪に入って頑張って何か発言しようとしても、突拍子のない発言になって、集団を一時ポカーンとさせてしまうだけでした。
そうしてだんだん鬱陶しがられました。
物忘れ・聞きそびれもさらに顕著になりました。
科目数や提出物の量が小学校よりも多くなるので、それに比例して忘れ物も多くなりました。知らないうちに半分くらい提出物が出ていなくて、3者懇談でそれが明らかになって母親に怒られたりしました。
学校でもいじめられ、家でも怒鳴られ…とにかく地獄でした。
家では常に何かしら母親とけんかしていました。
母親は年々過保護・過干渉を強めてきました。
母親はとても口達者で、気に入らない事があるとマシンガンのように人を批判してくる人です。
なので口喧嘩では到底敵わず、ひどい時は僕が家具のガラスを割った事もありました。
家庭の話で言うと、中3の直前あたりに、父親と、同居していた母方の祖母が喧嘩し、話し合いの末父親が別居するという事件がありました。
父親は仕事人間で、基本的に家庭に無関心な人でした。
なので当時は父親は嫌いでしたが、自分と同じく会話が苦手な人で、家族と噛み合わず、苦労してたんだろうなと今では思います。
勉強は、地元の有名な塾に通っていたので、成績自体は中の上を維持していました。
しかし、学習意欲はほとんどありませんでした。完全にやらされてる感じでしたね。
科目にも得意不得意が分かれてきました。
数学みたいな答えが明確な科目は比較的得意でしたが、古文と歴史がどうしても興味が持てず苦手でした。
国語・英語の長文も、学年が上がるごとに、難易度が高く文章も長くなり、読みきるのに必要な集中力が持たなくなりました。
通っていた中学校は結構荒れていて、今でいう教育困難校でした。授業中も私語が絶えず、とても勉強出来る環境ではなかったので、今となっては塾に通わせて貰って良かったと思っています。
そのおかげもあり、進路先は校風の良い私立高校に進む事が出来ました。
趣味では、中2のときに、お年玉でエレキギターを買いました。
幼稚園から小2まで習っていたエレクトーンをやめて以来、すっかり音楽とは無縁だったのですが、当時GLAYやL’Arc〜en〜Cielなどのバンドブームで、それに乗じてエレキギターを始めました。
そしたらエレクトーン時代の音感が蘇り、グングン上達しました。
ギターを弾いている時間は数少ない生き生きする時間の一つになりました。
今でもギターは1番の趣味として、弾き続けています。
それにしても当時の自分は、よくまぁこの3年間を耐えてくれたなと思います。
当時の自分を褒めてあげたいです。
これは嘘のような本当の話なのですが、当時のほんとに辛かった時に、未来の大人になった自分に、「大丈夫だよ」とハグされた感覚がありました。
あの時の自分が今の自分なのかもしれません。