ここから大学を卒業し、社会人時代突入です。
僕はここまで、まだ自分がADHDだと気づいていませんでした。
僕が新卒で入った会社は、大手コンビ二チェーンの一つでした。
仕事内容としては、1年目に店舗研修 → 数年間スーパーバイザー(地域マネージャー的な仕事) → 本部の商品開発や店舗開発というコースの予定でした。
実態はもう絵に描いたようなブラック企業でした。
まず入社すぐ、研修センターに、全国の新入社員を集め、丸5日いろいろ研修させられました。新卒はその年度で計150人くらいいましたね。
いかつい研修担当社員みたいなのが数人いて、朝は普通に8.9時から、夜は20時くらいまで各種座学、ビジネスマナーを勉強しました。
社員としての心構えみたいな講座があったのですが、
- Give & Give & Give!
- 会社に恋をしよう!
みたいな事を言っていましたね。
社訓の唱和もありました。こんな軍隊みたいな会社本当にあるんだ…と思いながら棒読みしてましたね。
今でもその社訓を覚えてしまっているくらい言わされました。
もう、洗脳する気満々の研修でした。
入社研修が終わると、地元の直営店に配属され、店舗実習に入りました。
そこでの店長は仕事に対する考え方が典型的な昭和の人で、到底受け入れられなかったです。付き合い残業の強要や、ノルマの自爆買いの強要がありました。
特に自爆買いは、当時の給料の4分の1に迫る金額を強要されました。自爆買いは会社全体の文化になっていました。
もちろん抗議しましたが、聞く耳をもってくれませんでした。「買え!」で一蹴されました。
あの時の店長の発言をICレコーダーに録音しとけば良かったですね。
この会社に居てたときは、精神状態が相当ヤバい状態にありました。
毎朝「どこか遠くの街へ蒸発してしまいたい。」「わざと車に轢かれて長期入院を試みたい」など、とにかくこのつらい環境から逃げる事ばかり考えていました。
当然ミスが増え、ある日清算関連での大きなミスをしてしまい、相当怒られました。
そのタイミングで、このままこの会社で働いてたら心身ともに取り返しのつかない事になると感じ、精神科に行き「適応障害」と診断されました。
休職の手続きをとり、そのまま退職となりました。
勤務期間3ヶ月弱でした。
再起不能なほどに心が壊れる前に退職出来て、本当に良かったと思ってます。
こんなつらい事になったのは、就活を真面目にやってなかった事のツケもあると思いますが、やはりADHDの症状が、様々な負のスパイラルを生んでいた事が根底にあると思っています。
そして、このようなひどい目にあってもなお、自分がADHDだという事に気づいていなかったのです。
当時の同期の人はまだこの会社に居てるんでしょうかね?
もし居てるなら、某広告代理店みたいに死者が出る前に、次の世代の人たちの為に職場環境の改善に尽力してもらいたいもんですね。
洗脳されてたら無理だろーけど。