ADHDの診断とほぼ同時に、音楽教室のアルバイトはやめました。
退職後、少し精神的に休養を取りたかったので、次の仕事を始めるまで1か月ほど間を取りました。その間に自分に向いている仕事を真剣に考えました。
営業や、電話応対が多い仕事が向いてないという事は身に染みて分かりました。
やはりものづくりみたいな、1つの事に集中できる仕事が向いているのではないかと考えました。
いろいろネットで調べるうちに、Webデザイナーという職種を見つけました。
元々イラストが得意というわけでもなく、当時はデザインセンスなど皆無でした。 ただ音楽が得意という事もあり、右脳のスペックにはそこそこ良い自信はあったので、デザインなら頑張れば伸びるんじゃないかと思い、Webデザイナーに賭けてみました。
翌月から、早速Webデザインの民間のスクールに通い始めました。 1年かけて、Photoshop、illustratorの使い方や、コーディングの基礎知識を学びました。 スクールでの課題をこなしつつ、少しずつ知識をつけていきました。
1年で無事スクールは卒業し、そこから転職活動が始まったのですが、内定が出るまでかなり難航しました。
元々Web業界は未経験に厳しいのと、新卒で入った会社をすぐ辞めた事も面接でほぼ100%追求されました。
また、転職活動開始と同時に、母親の過干渉が再び激化し、それがかなりのストレスになりました。
「スーツが汚い」だの「早くハローワークに行け」だの、暇さえあれば活動に対する文句を言ってきました。
これはマジできつかったです。ノイローゼになりました。
母親は支配欲の塊みたいな人で、子供に対しても「この子は自分がいなければ何もできない」というレッテルを貼ることでしか、自分の存在意義を確認することが出来ない人のようです。
今では母親のことを考えても無駄にストレスが発生し、寿命が縮まる思いがするので、極力考えないようにしています。
とにかくスキルで経歴をカバーして、早く内定を決めなければと思い、転職活動を一時中断して、 当時携わっていたバンドのホームページを作ったりして、 よりクオリティの高い制作物を作りました。
それが認められ、25歳の時にようやく京都のWeb制作会社にアルバイトとして入社が決まりました。
スクールに入ってから丸2年かかりました。
スクールと同時進行でバイトもしていました。
勉強になるべく負担をかけないように、無難に慣れている仕事にしようと思い、やはりコンビニで働いていました。
そこがADHDを診断されて、薬を飲むようになってから初めての仕事だったのですが、明らかに以前と感覚に変化がありました。
忘れ物も減り、レジが込んでいても冷静さを保つことができ、より効率的に仕事が出来るようになりました。
「頭が回転する」とはこういう事なのか!と、23歳にして初めて実感しました。
そのコンビニでの仕事は、次のWeb制作会社での仕事が決まるまで無事続ける事ができました。
趣味はこの頃も相変わらずバンドでした。 SNSで音楽仲間との交流も広がり、音楽をやっているときはやっぱり楽しい時間でした。
僕にとって音楽は、友人を作るための大切なツールでもあるので、これからも大切にしていきたいです。