京都のWeb制作会社勤務時代

1年の転職活動の末、何とか京都のWeb制作会社でアルバイトで採用されました。

その会社は、実家から通うと片道2時間半かかり、とても通える距離ではありませんでした。
なので、この時から通える距離の場所で一人暮らしする事になりました。

予想通り母親の猛反対がありましたが、結果的には了承してもらえました。初期費用は父親が出してくれました。

一人暮らしは、やはり最初は大変でした。
実家で全然家事を手伝っていなかったので、洗濯、掃除に慣れるのに苦労しました。
特にお金の管理は酷いものでした。(今も大概だけど…)
大切な父親からもらった引っ越しの初期費用の残金を切り崩しながら生活していました。

それでも自炊なども少しずつ頑張り、一人暮らしも徐々に慣れていきました。

会社では、大口クライアントのECサイト運用の仕事がメインでした。
最初は簡単な商品画像作成から始まりましたが、それだけでも今までのPhotoshopのスキルでは到底通用しない程、レベルの高い業務と感じました。
当然ですが、採用で実務経験を重要視される理由が身にしみて分かりました。

なので最初の2ヶ月くらいは思うように仕事が出来ずに辛かったです。
隣の先輩にいろいろ聞きまくって、それでも時間内に作業終わらなくて、同じチーム内の人にいろいろ迷惑をかけてしまいました。
それでもその時の先輩方は本当にいい方たちで、根気よく僕のことを教育してくれました。本当に感謝しています。
今でもその先輩方と飲みに行ったりしてます。

その会社はWeb制作会社としては規模が大きい方で、制作チームとディレクションチームに分かれていました。
なので完全に制作に専念できる環境だったので、ADHDの僕にはとても向いていました。
しかしその分、先輩デザイナーのレベルも非常に高く、当時は自分のデザインセンスの低さにしょっちゅう凹んでいました。
しかし2年目あたりから、徐々にレベルの高い仕事も任せて貰えるようになりました。

Webデザイナーを目指し始めた頃の「デザインなら頑張れば伸びるんじゃないか?」という予想は間違ってなかったと、この頃から確信出来るようになりました。

本当はこの会社での正社員登用を目指していて、上司に掛け合ってみたのですが、それは残念ながら叶わずでした。
社員として求められるスキルにもう一つ届かず。と判断されたからです。

アルバイトでさすがに一人暮らしの生活費を維持するのが困難になった為、会社は2年半程で退社し、大阪の会社に転職しました。

また、この会社に在籍2年目の年に、父親がガンで亡くなりました。
父は僕と同様コミュニケーションが苦手な人でした。
子供の頃は父の事が嫌いでしたが、金銭面での援助はもちろん、社会で大切な事も教えてくれたり、最後まで僕を支えてくれました。

父は、僕が中学生の時までは、絵に描いたような昭和のサラリーマンでしたが、途中から独立して、10年ほど会社を経営していました。

リーマンショックがきっかけで会社が上手くいかなくなり、会社を売却した直後に、大腸と肝臓にガンが発見されました。
その時ですでにステージ4で末期でした。

きっと父も、相当ストレスの多い人生だったんだろうなと思います。

僕を育てる為に必死で働いてくれた父の苦労を無駄にしないよう、これから生きていこうと思いました。

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