高校は比較的家から近くの私立高校でした。
地元ではそこそこ有名なおぼっちゃま・お嬢様校でした。
高校の3年間は、自分の人生の中では比較的平和な期間で、今まで受けていたようないじめもほとんど受ける事は無くなりました。
自分のボーっとした性格も、キャラとして受け入れてくれて、クラスの友達とカラオケに行ったり、楽しい時を過ごすことができました。
高校自体が、クラブ活動があまり盛んではなかったので、とくに部活はやっていなかったのですが、楽器が出来る仲間同士で集まって、マイペースにバンド活動をしてたりしました。
当時のバンドメンバーで今でも繋がりがある友達もいます。
ただ受験校だけあってみんな勉強出来るので、成績は落ちこぼれに分類される位置になりました。
中学から苦手だった国語と英語の長文は、さらに長文になり、テストで最後まで読み切れる時は稀でした。
学習意欲の源はドーパミンです。ADHDはドーパミン異常の障害なので、このように勉学でも支障が出てくるのです。
もう一つドーパミン不足による支障が目立ってきました。
それは、日中の強烈な眠気です。
ドーパミンは覚醒作用のある物質なので、これが足りないと眠気に襲われる事が多くなります。
なので授業中の居眠りが目立ちました。そして当然成績ダウンに拍車をかけました。
もっとも、向上心もあまりなかったので、落ちこぼれであることに対するコンプレックスはありませんでした。
成績不振のせいもあり、平和な学校生活とは反対に、家庭は相変わらずつらい環境でした。
母親の過保護・過干渉は日に日に異常なものになっていきました。
勝手に自分の部屋をあさり、すべてを監視しようとしてきました。
この高校時代あたりから、母親に対する不信感が徐々に強くなりました。
過保護に対する抗議をどれだけ強く言っても聞く耳を持ってもらえず、独善的に振る舞う母親の態度に、何度も心を捻じ曲げられました。
ちなみに、これは僕が22歳の時に判明する話なのですが、この頃から母親は僕がアスペルガー症候群なのではないかと疑っていたそうです。
また、この頃から、ADHDの症状の一つである「過去の嫌な事が頭から消えずに、長期間強いストレスにさらされる」事が多くなりました。
これもドーパミン不足によるものと思われます。
ドーパミンは「快」の感情を司る脳内物質でもあります。ドーパミンが不足すると、「不快」な感情に支配されやすくなるのです。
例えば、テスト中にふと嫌な事を思い出して、強いストレスにさらされ、テストに集中出来ないという事がよくありました。
これはかなり辛かったですね。。。
今では、コンサータというドーパミンを増やす薬を飲んでいて多少はマシになりましたが、それでもたまに仕事中などで同じ状態になる事があります。
休みの日は大概家でギターの練習をしていました。バンドもそこまで活動頻度が高くなかったので、自分の好きな曲を好きなように練習する日々でした。
結果的に、それがテクニックの底上げになって、大学以降テクニックで一定の評価を得る事が出来たのでよかったと思います。
好きなアーティストは、高校の間はB’zにどハマりしていました。最初にLOVE PHANTOMを聴いた時は、今まで聴いてきたバンドのギターは一体何やったんや!?ってなったくらい衝撃的でした。
進路は、高3の夏ぐらいから自分なりに勉強し、中堅の私大に進むことになりました。
ギリギリになってからの意欲・集中力はそこそこある事が分かりました笑
家庭環境さえなければ、もう一度この頃に戻ってもいいかなと思える、楽しいこともあった時期でした。