記憶があるのは3歳くらいからです。
生まれた時は東京の都営団地に住んでいました。
同じ団地の友達と遊んでた記憶がかすかにあるくらいです。
なので3歳当時からのADHDの兆候というのは、自覚症状レベルでは無かったのですが、母親曰く、言葉を話し出すのが半年くらい遅かったらしいです。
4歳のときに父親の転勤で、東京から大阪に引っ越しし、その春から幼稚園に通い出しました。学年?園年?でいうと年中になりますね。
幼稚園くらいから少しずつADHDの兆候が自覚レベルで出てたような気がします。
覚えてる範囲で言うと、
- 整列が出来ない
- よく集団からはぐれていた
- お遊戯のダンスの覚えが悪い
- 言われた事に言葉が詰まってすぐ返事ができない(これは今もですが…)
などを覚えてます。
年長の頃に、後の人生に大きく救いを与えてくれる出来事がありました。
それは、エレクトーンを習い始めた事です。
当時母親に「水泳とエレクトーンどっち習いたい?」と聞かれて、真っ先に「エレクトーン!」と答えたのを覚えてます。
現在エレクトーンはもう弾けませんが、当時のレッスンのおかげで絶対音感が付いて、趣味のギターにバリバリ役に立ってます。
当時は嫌がり、駄々をこね、2.3年で辞めてしまいましたが、もっとやっとけばよかったと後悔してます。
母親とは今でも何かと対立が多いですが、この事だけは母親に感謝しています。
水泳との2択でエレクトーンを選んだ当時の自分にもグッジョブですね。
ほんとに、音楽は今の自分を支えてくれてる取り柄になってるんで、これがなかったらどこかで自殺していたかもしれません。こういう偶然があるから人生って不思議ですよね。
また、運動能力について、ADHDの人はスポーツが苦手な方が多いらしいですが、僕に関してはとりわけスポーツが苦手というわけではありませんでした。
エレクトーンと同時進行で体操クラブに通っていたり、幼稚園のプログラムで週一で近くのスイミングスクールで水泳を教わっていたのですが、それも難なくこなしていました。
年長の運動会で、リレーで他の組をごぼう抜きにした事もありました。
ただ今でも1番困ってる「会話・言語関連の弱さ」は明らかこの頃から出てましたね。
幼稚園児でもちゃんと順序だてて喋る子いるから、言い合いになるとほんと弱かったです。
なのでよく泣いてました。
自分は悪くないのにちゃんと主張出来ずに自分が悪くなる、という現象もこの頃から起きてました。
例えば自分のレゴブロックが所定の場所にしまってなかった事があったんです。
実際はその日自分はレゴブロックで遊んでなくて、誰かに放り出されてただけなんですが、保母さん(今でいう保育士さん)に「なんでちゃんと片付けないの!?」と怒られてしまったんです。
それにとっさに反論するだけの言葉をアウトプットできなくて、ただただ泣くしかなかった事を今でも鮮明に覚えています。
当時は発達障害なんて概念自体ほとんど認知されてなかったし、僕も「はい」「いいえ」くらいの最低限の受け答えは出来てたので、そのときに障害が発見されるって事はまず不可能だっただろうなと思います。
もし自分の子供が生まれて、その子もADHDの遺伝子を受け継いでしまっても、幼少期から適切なサポートをして、特別な苦労なく育てたいと思いますね。
まず結婚相手見つけないとですが笑
そんな幼少時代でした。