過保護で支配的な毒親の下から一人暮らし出来たきっかけ

僕の母親は絵に描いたような毒親です。

とにかく過保護で支配的でした。母親は子供を”この子は私がいないと何も出来ない”という状況に追い込む事でしか自分の存在意義を保てない人でした。

いろいろエピソードも書いてみたいんだけど、思い出すと今でも腸が煮えくり返り、精神状態が崩れてしまってなかなか書けません…

僕は今は一人暮らしをしています。
ある程度母親と距離をとって生活する事ができて、今は心の平穏を保てています。

Twitterでいろんな発達障害の人のアカウントを見ると、未だに実家から出れずに毒親に苦しめられてる人がたくさんいて、辛さが痛いほど分かります。

親の事を書くのはかなりしんどいので今まで避けてきたけど、今も毒親で苦しんでる発達障害の人に何か参考になればと思って書いてみます。

一人暮らしのきっかけ

僕が実家を出たのは25歳でした。
当時はフリーターからWeb制作会社への就職を目指していたときで、1年間の就職活動の末たまたま隣県の会社に内定をもらいました。

その会社は片道約2時間半もかかりました。残業も多いため、帰りも早くて23時過ぎでした。

僕は母親に一人暮らししたいと話しました。

しかし母親は予想通り大反対でした。
理由は「お前はADHDだから」の一点張りでした。

それでも

  • どう考えても実家からは通勤困難な事を粘り強く説明した事
  • 父親も説得してくれ、しかも引越しの初期費用も出すと言ってくれた事

もあり、承認されました。

しかしその後も母親は、僕に隠れてADHDの主治医に会いに行って、僕の一人暮らしを反対するよう頼みに行ったりしてたそうです(もちろん無駄に終わったようですが…)

何が何でも実家から出よう。

毒親の支配から逃れるにはとにかく物理的に離れる事です。
でもこれがめちゃくちゃハードルが高い。毒親は得てして子供の自立心を妨げてくるからです。

僕の場合は、

  • 仕事が隣県になった事
  • 父親の金銭面の助けがあった事

が、実家を出る上での大きな要素になりました。

「お前は金に恵まれてたから上手く行ったんだ。運が良かった」と思われるかもしれません。
確かにその通りです。自分自身本当に運が良かったと思っています。

ただ一つ言えることは、「自立に向けて絶え間なく行動してた事が運を招いた」という事です。

運は行動している人にしか降ってきません。僕も行動してしなかったら、その父親のお金も別の事に使われていたでしょう。

そう、とにかく行動あるのみなんです。

酷な事を言っているのは分かっています。
毒親に自尊心をボロボロにされて生きる力を奪われている人もいるでしょう。
発達障害を毒親に理解されず、ろくに治療を受けられてない人もいるでしょう。

それでも行動するしかこの苦しみから抜け出す方法はありません。
少しずつでいいです。ひきこもりの人は就労支援施設に通ってみる。鬱が酷い人は病院に行く。そういう小さな行動の積み重ねが、いつか必ず突破口に繋がります。

ちなみに僕の場合、一人暮らしを始めた一年後に、お金の援助をしてくれた父はガンで亡くなりました。
あと一年行動が遅れていたら、僕は未だに実家の下で苦しんでいたかもしれません。

人生は短いです。
どうか毒親のしがらみから解放され、幸せになれるよう応援しています。
僕も頑張ります。

こちらの記事もどうぞ

毒親の「無毒化」は諦めよう。ただ毒を薄める事は出来る。

2017.06.21
Sponsored Link